意味が意味することは、価値とは違う、というところから始めたい。
意味は何を意味するだろう。 何に意味があるだろう。 価値は何が価値だろう。 価値が意味するところと、何に価値があるか。
まずは似たところ、価値と意味が同じ文脈で使われることがある。
彼がしたことには価値がある。
彼がしたことには意味がある。
行為に対して、その評価を有価値とするとき、そこには目的と結果の合致が見られる。
行為についてその意味性を認めるとき、行為の目的に対する合致、言い換えれば、行為の有目的性というものが見られる。
インスピレーションで語ると、価値はいかにそれが誰かに(何かに)求められているか、意味はそれが指す対象が存在するか。
価値は力学的であり、意味は存在論的である、とそういう感覚だ。
価値も意味も何かとの関係において在るものではあるが、それらはある意味性そのものであり、つまりは個人の心に最終的に生じるものとして、個人の内に存在する。
意味性は何か現象として外界に存在するものではないとして。
悪魔の存在証明というものがある。或るものが有ることを証明するには一例を証明すれば済むが、或るものが無いことを証明するには、全事象を列挙し切らなければならない。
土台不可能なことを要求される。
これは意味が無いことを証明することの困難さを支持している。 意外なことに、意味のあることを言う方が容易であると言っているのだ。
では意味について何が難しいのだろう。
意味の無いと思われる文面について、それが本当に意味をなさないかを証明することが難しい、ということだ。