人生で幾度褒められたでしょうか。
30代までに社会人になってあなたは何度褒められたでしょう。
「やってける」という言葉が、社会人になって、これほど嬉しい言葉になるとは思いませんでした。
送られたその言葉で次に向かうというのは、数少ない勲章を胸に留め戦地へ向かう、うら若き将校の気持ちです。
なんのためにやってきましたか。
誰の喜びとして君は働いてきましたか。
誰のためでもない、自分の為として働くしかなかった、都会に一人の男でした。
そうでしかなかった。
そうでしかあれなかった。
自分は一人だと思っていた中でその言葉は非常に強かった。
私はまだ私で有れるのかもしれないと思えた。
この世に生きる意味はないと思う中で、こうした言葉に出会えることは、予想だにしない不条理でした。
虚無の世界観とは相容れない、等身大の希望でした。
それが、もっと大きな挫折によって打ち砕かれようと、その希望は、身の丈ほどの希望は、あまりにリアルで、それゆえに強靭で、その一人の存在の中にぴったりで、きっと壊れることもなく、一枚岩として、彼の社会人人生において、そびえ立ち続けるのです。
無名の小さなハゲの男の話でもいいでしょう。
生きるのに理由は要らなくても、生き続けるには理由が必要です。
それが人間です。
そうでしょう。